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<br />Subject: 随分と間があいてしまいました。皆さんお元気でしょうか。今年は暑さがとみに厳しく、また湿度もありまして一段と過ごしにくい夏でしたね。

わたしはお盆に祖父母の家へ参りまして、陶器市にいったり庭の手入れを手伝ったりなぞしていました。朝早くに起きて、真っ赤というにはあまりにも真っ赤な、動脈を流れる血のような色のトマトをザルいっぱいに摘みまして、玉ねぎと一緒にトマトソースを作ったりして、そのトマトソースで茄子とじゃがいもとでこさえたチーズ焼きを祖父母に食べてもらいました。
完熟のトマトはまた、なにもしなくてもとても甘くて瑞々しく、氷水で冷やしたトマトを何個食べていたか知れません。なりたてのきゅうりを味噌をつけて食べるのもまた格別です。

家のすぐ向かいは田んぼがひろがっていたのですが、ここ数年で家々が立ち並び、道路は補整され、大型スーパーが立ち、すっかり住みやすい環境が整えられました。それを境に、庭に溢れるようにいたトンボやバッタは潮が引くように当たり前のようにいなくなり、夏の夜に悩まされていた虫たちの御宅訪問などもぱったりなくなりました。
でもね、今回やっと、ここ数年出会いたくても出会えなかったトンボに出会えました。カラスの濡れ羽色のような美しい黒の羽根と、木々や葉の緑の中に電気が走るような青色の身体のトンボ。ハグロトンボの一種で、わたしが小さい頃はそれはもう、辺りに烏が羽を撒き散らして飛びたちでもしたのかというくらい沢山いたのですが、ここ数年は姿さえみていませんでした。
久方ぶりに再開した彼は少しからだが小さく痩せていて、しかしそれでもしっかりと美しい羽根をひらひらさせてわたしに挨拶をしてくれました。
おかえりなさいって言ったら、すこし羽根を広げてパチンと閉じてくれたのは、あれはただいまの挨拶だったのかしら。嬉しくなってしまいました。
来年もまた、来てくれるかなあ。そうだといいなあ。来年はもっと彼の家族が増えているといいなあ。

9/3の演奏が近づいて来ました。チケットノルマのことをまた忘れていた…
今日合わせなので、良い演奏が出来る様頑張ります。

そして、9/20に初めてLIVEをやることになりました。casa classicaにて19時から二部構成。
一部はクラシック中心、二部はピアソラやジブリなどのポピュラー曲中心になっていまして、特に二部の曲はわたしが編曲したものが殆どになりそうで…今からドキドキします。大目に聞いてくだされば嬉しいな…

色々な事があるし、それでも色々しなければならないことはあるから人生退屈しないのだろうけど、少しずつでも良いほうに進めたらそれはきっと素晴らしい事なんだと思います。思う様にしていなければね!

これから秋、みなさまにとっても木々にとっても実り多き季節となりますように。

写真はトマト。
2012/08/21(火) 11:35 UNARRANGEMENT PERMALINK
気がつけば梅雨に入りました。この間の台風はみなさん大丈夫でしたか?

仕事へ向かう途中、井の頭線の車窓から見えた紫陽花の、その色とりどりの美しさにしばし視線を奪われます。
視線を奪われるというのは、心が奪われているのと一緒なんだと思うのです。たとえそれが瞬間でも、目に映るそのことだけで身体中が満たされて、支配されているように感じるのです。
美しいものに視線を奪われる時、体にはその美しいものが溢れるようでとても幸せなような、切ないような気分になります。
凄惨な映像や、残酷な出来事に視線を奪われることがないように、ゆっくりゆっくり、いつも感謝して生きていけるようになりたいものです。

ピンクの紫陽花は愛らしさ、青の紫陽花は慎ましやか、白の紫陽花は包容力、そんな感じのする6月の風景に、青々とした草木や南国の海のような空色がとても映えますね。

あまりにもチケットを売らないから怒られてしまいました…宣伝です。申し訳御座いません。

7月15日にオールバッハプログラムでコンサートを致します。

場所はかつしかシンフォニーヒルズ。
時間は1430開場、15時開演。

詳細はコンサートインフォメーションにてご確認いただけたらと思います。どうやら開演時間がわたし間違えているみたい…(~_~;)こちらに記載したのがあっています。

先日、美味しい新ジャガを頂いたのでスパムと一緒に炒め物にしました。とても美味しくて一気に何個も…
新ジャガはそれだけで美味しいので、シンプルに茹でたり焼いたりしておやつにも頂いています。
まだ残っているから粉吹き芋にもしようかな^^
2012/06/23(土) 14:36 UNARRANGEMENT PERMALINK
陽光は眼底をえぐる最近朝が早いです。
朝が早いと一日が長くて、とても良いかんじ。そのかわり、クマができてきました…年ですかね^^;

先日先輩方がコンツェルトを代わる代わる弾くというコンサートにオケとして参加したのですが、みなさん本当に素晴らしかったです。オケもソリストも本番の緊張感がみなぎっていて、特にソリストの方々は本番がいちばん素晴らしく、みなさんの努力がとても感じられました。それと同時に、自分は出来ないだろうなという気持ちがどんどん膨らんで…^^;笑

暗譜や技巧的なフレーズ、華々しいヴィルトゥオーゾなものはなんだか苦手です。サロンなどでこっそり素敵な曲を弾くのが好きです。これって、演奏家には向いてない思考なのかもしれませんね。ひとりで弾くというのが怖いんです。オーケストラはひとりではありませんし、ソナタもひとりではありません。でもコンツェルトはソリストというくくりになって、ひとりで弾かなければならないのが怖い(>_<)でもその分、オーケストラバックで弾けるというのはこのうえなく気持ちがいいものでもあるんです。

ショーソンの詩曲なぞをオーケストラバックで弾けたなら、とてもとても気持ちいいだろうなあ。シュニトケのソナタを弦楽バックで弾けたなら、とても感動するなあ。
なんて、またソナタや小品にいってしまうわたしなのでした。


声というのは大事なもので、視線というのも大事なもので、笑顔は一等大事で、だからなかなか笑っていられないわたしとしては、いつも笑顔でいるひとのことをとても尊敬します。

何か自分をがらりと変えてみたい気分なのですが、さしあたり変えられる部分というと髪の毛くらいのもので、でもショートにすると手入れが大変そうで躊躇してしまいます。たぶんいまの倍以上美容院に通わねばならなくなるでしょう^^;


先日仕事で某タワーに登ってきましたが、かなりの高さでびっくりいたしました。足がすくんだけれど眺めは最高で、みなさんこぞって写真を撮っていました。OPENしたらきっと混みに混んでしまうから当分足が遠のくので、良い経験させて頂きました。


いまから編曲を試みます。頭がぼんやりしているので出来るかな…


なんだか適当な文章になってしまいました。申し訳御座いません。
みなさまの今日一日が素晴らしいものになりますようお祈りしております。

写真はある日の朝食。
2012/05/19(土) 08:41 UNARRANGEMENT PERMALINK
葉、茂る季節がめまぐるしく巡って、今日の昼間はまるで夏のようでしたね。
遠くに思えたGWも気がつけばもう過ぎ去っていて、なんだか不思議。みなさまどのようにお過ごしでしたか?観光にいけましたか?又はゆっくりとお休みになられましたでしょうか。
わたしは母方の祖父母家に行って、障子の張替えや陶器市巡りを致しました。障子の張替えは初体験でしたのではじめのうちはなかなかうまくいきませんでしたが、慣れてくると手際良くはれるようになってきて楽しかったです。10歳下の従姉妹と息をあわせてぺたぺた貼っていきました。
わたしには従姉妹が三人いまして、5歳下の男の子が産まれた時にはそれはそれは嬉しかったものです。10歳下の女の子が産まれた時にも感激したけれど、その頃には年が離れ過ぎていてどのように接したらいいのかわからないような、照れ臭いような気持ちもあいまってうまいこと接することが出来ずにこんな歳になってしまいました。
気がついたら彼女がもう中学生活を終わろうとしていて、気がつかないうちにオシャレになって、一番下の従姉妹の面倒をしっかり見ていて、そんな姿をみているとなんだかとても申し訳なくてたまらなくなるのです。なんでもっと遊んであげられなかったんだろうとか、もっとああしてあげられればとか今からでもこうしてあげられればとか色々思うのに、わたしはどうしてもうまく立ち回れないんです。恥ずかしいような、体裁が悪いような、柄でもないような、またはどうすればいいのか具体的にわかっていないのか、いざ彼女と一緒にいるとどうしたら彼女に喜んでもらえるのかわからなくなって結局いつも通りにしか接せられないのです。
一番下の従兄弟に対してはもっとひどくて、きっとわたしが一番可愛がってあげなければならないのに一番厳しい態度しかとれないのです。従兄弟たちの中でわたしが一番精神的に幼いのをわたし自身が一番痛感していて、でもそれを悟られたくなくて虚勢をはって大人の振りをしているのがおよそ滑稽で、とても惨めになるときがあります。面倒見のいいひとに憧れるのは、きっとそういう部分が自分にないからなのでしょう。ひとは自分に欠けている部分を探しながら生きていて、そういったかけらをみつけるとそれが欲しくて憧れて、嫉妬してつらくなっていらいらして落ち込んだりするんでしょうね。
だから此度の障子の張替えは本当に楽しくて、一緒に作業してくれた従姉妹にとても感謝しています。こんなお姉ちゃんでごめん、有難うね。

さて、本日は西国分寺にてホームコンサートの公開GPをさせていただきました。名だたるホールでオーケストラの演奏もとても好きですが、ホームコンサートやサロンコンサートなどせまいところでの演奏も実は好きです。聞いてくださる方がとても近くに感じられて、こんなに一所懸命に聞いてくだすってるこの方々にもっと良い演奏をしたい、って強く思わされます。息遣いが聞こえる近さで、反応も如実に伝わってくる小さな空間で、聞いてくださる方達と演奏するわたしたちで作って行くひとつの小さな演奏会は終わった後になんだか、確かな強さをもったある種の達成感を生み出すんです。それは例えるのであれば春、一番最初に咲くオオイヌノフグリのような、梅雨も開けきらない初夏に、どこかから聞こえる一匹のアブラゼミの鳴き声のような、植え込みに差し込んだまだ柔らかく、しかし斬れ味の鋭い刃先に似た朝日のような、なんともいえない一体感と充足感があるのです。

終わった後、ある方から「川のような演奏ですね」とおっしゃっていただきました。そのときにふと、わたしの古くからの友達が常々いっていた「泉のような音楽(彼はそのような音楽を奏でたいといつも言っていたのです)」に少し近づけているのかな、とおこがましくも思ってしまって、なんだかとても嬉しく思いました。

どんな風に自分が歳を重ねて行くのかはまだ全然わからないけれど、でも流れる川のような、揺れる稲穂のような、続く山々、広がる海、それに番う空のような、とめどもなくて掴めない、満ち満ちた生き方が出来たなら、わたしはきっといつか振り返った時、今日のコンサートが終わった後のような気持ちで人生をおわれるのだろうなと思うのです。

写真は今日の休憩の一枚。
2012/05/15(火) 00:34 UNARRANGEMENT PERMALINK
翔ける新芽新緑がどんどんわたしの視界を覆って行きます。若く押し付けがましくない柔らかな萌黄色にわたしの中身もどんどん濡らされていって、緑でいっぱいになっていきます。その危うげな、しかし命に溢れかえる葉のひとひらひとひらが地面に零す陽光は、その下を行き交うこどもや犬、ベビーカーを押した若いご夫婦の顔や髪をきらめかせ、木々にはビタキの仲間でしょうか、小さな身体でちょんちょんと細枝を飛び回りながらさえずり歌う小鳥がおります。それらはすべてとても愛らしいのです。
通りには白と桃色のははなみずきが満開です。つつじも惜しみなく花弁を広げて、虫たちは生まれたての命をその羽の震えにふくませています。

古びた近所のリサイクルショップには、いつの時代のものなのか誰に使われていたのかわからない、鰹節の削り機や電気ロースター、梅干を漬ける壺や姿見、果ては三味線などが無造作に薄暗い店内に置いてあります。どの物もそれらが現役で使われていた時代をそのまま身体にまといながら眠っているようで、例えばいまわたしが使い始めたらどんな顔をみせてくれるのか、想像するととてもわくわくするのです。それは新しいなにかを始める時や、春がくる時のどきどきと少しだけ似ているように思います。古本屋さんや骨董品店、リサイクルショップなんかにわたしが惹かれるのはそういうどきどきやわくわくがあるからなのです。

今日ぼんやりと、新緑と麗らかな日差しの中人が行き交うさまを見ていましたら、いきなり涙がでてきました。不思議と涙は止まらなくて、悲しい訳でもなく辛い訳でもなく、ただただ、こんな綺麗で美しくて素敵な光景と音がある世界で、わたしは生きていて、生かされていて、沢山のひとを愛して、沢山のひとに愛されて、支えられて、それなのにわたしはなにをしているんだろうとか、そんなありきたりな悔恨の思いすらどうでもよくなってしまう程、目に映るもの聞こえてくるものすべてが愛しく感じられて、涙がどうしても止まりませんでした。

わたしは定期的に不安定になる癖があってそういう時は訳もなく泣いたりするのですが、今日のはちょっといつもの気分とは違い、なんというか、例えて言うなら結婚式の時、両親への感謝の手紙を読んでいる新婦がたまらず泣いてしまうのと同じような感じに近いのです。感謝や愛おしさがつもって、それがたまたま瞳から溢れたような、そんな感じでした。


4/15から、ottavaというインターネットラジオにて3月に参加させて頂いた「がんばろう日本スーパーオーケストラ」が放送されているようです。わたしもまだ未確認ですが聞いてみようと思っています。


5月25日は西国分寺にて午前中、午後とホームコンサート、25日夜は府中の森芸術劇場ウイーンホールにてラヴェルのソナタを弾きます。2040頃の出番になります。カット版ですがお越し頂けたら嬉しいです…!
チケットにつきまして混乱している節があります、近場になりましたら今一度ご連絡頂けましたら幸いです。ご迷惑おかけします。


6月はベートーヴェンのミサを初めて弾かせて頂きます。7月はバッハの色々な曲を弾きます。生きていると、色々な事があります。色々なひとに出会います。色々な場面で色々なものを傷つけて歩いてしまいます。でもそんなわたしでも幸せに生きてしまったりするわけで、だから幸せに生きられるうちはなるたけいっぱい感謝して日々過ごしたいと思うのです。

どうか様々なものに感謝して生きていけますように、笑顔を忘れないでいられますように、許されたいと願うのはおこがましいけれど、許せるひとになれますように、そんなこっぱずかしいことを思いながら、夏の指先のような生温い夜風に吹かれている夜長で御座います。
2012/04/29(日) 21:01 UNARRANGEMENT PERMALINK
春の風は少し乱暴で肌に柔い今日は風がとてつもないですが、みなさま大丈夫でしたか?折角ほどかれた桜の花びらもだいぶん散ってしまったのではとはらはらしています。こぶしは大丈夫かなあ。オオイヌノフグリは無事かな?


気がつけば3月もおわり、明日からは新たな生活が始まるという方が多いかと思います。期待もあるけど不安が大きい、なんて方、大丈夫です、割りとどうにかなってしまうものです。笑
でも例えば、入って見れば休みがなくて残業だらけ、とても大変な仕事ばかり回ってきて上司からは理不尽な事で怒鳴られる会社だった…なんて時は、必ず身近などなたかにご相談下さいね。ひとりで抱えてばかりではとてもとても辛いし、かといってすぐに辞めてしまうのも勿体無いんじゃないかなって思うんです。まずは相談して第三者の意見を聞いてみましょう。最近はセカンドオピニオンが医療の現場でも当たり前ですし、ストレス社会のいまこそ、あなたの隣にいる方を頼ってみてください。なんて、知ったかぶりで申し訳御座いません。

3月はわたしにとってとても幸せな月で御座いました。一流の演奏家の方に囲まれて、一流の指揮者の元で交響曲が弾ける喜びは、また格別といいますか、至福の一言です。一秒ごとが勉強になりますし、本番の時の迫力といったらもう、それはそれはリハーサルなんかとは段違いなんです。気圧されてしまうくらい空気が変わりますが、その落差がとても心地良く、わたしも頑張らなくてはと奮い立たされるのです。

そういった体験から今月、わたしは指揮者の方の重要性というものをひしひしと感じました。わたしは指揮のことは詳しくわからないけれど、演奏者以上にカリスマ性、魅力、実力、知性などなど、そのひとの人間性が求められるものなのではないでしょうか。オーケストラという大所帯で、沢山のメンバーの中にぽつんとひとりだけ立っている、それが指揮者です。そこに誰が立つか、本当にそれだけでその場の空気が変わるんです。あの人が立ったらこういう空気、この人が立つとああいう空気、といった感じに。ホールの空気がふっとそのひとの空気になる、そんなふうに感じます。
ゲネプロがおわってメンバーがはけた、しんとしたホールを覗くのが好きです。客席にもステージにも誰もおらず、生成り色のフローリングに椅子と譜面台が整然と並び、前方にハープ、奥にコントラバス、それらを照らすスポットライト、そしてその中にひとつだけ、真っ赤な真っ赤な深紅の指揮台が、やっぱりぽつんと、いとも美しく鎮座しているその光景はいつ見ても、何度見ても見飽きることはありません。

歴史あるホールで弾けば、ホールそのものの力を感じます。何年も何年も、何十回何百回と数多のコンサートを見守ってきたホールが、大丈夫だよ、聴いているよと言ってくれているように感じるのです。ホールという建物の生きてきた歴史や空気が、いまここで弾こうとしているわたしたちを守ってくれているように、包んでくれているように思わずにはいられないんです。


4月はアットホームなコンサートがいくつか、5月はホームコンサートとウイーンホールでのコンサートが控えています。ホームコンサートは兼ねてからの場所で、ウイーンホールは久々に、ということでこれからの月も楽しみです。ウイーンホールのチケットは絶賛販売中なので、どうぞご連絡頂ければと思います。
とりあえずコンツェルトもやりつつ、新たなソナタのレパートリーを増やそうと思っています。レスピーギとエルガーとシュニトケと…やりたいのは尽きません。新たなひととのアンサンブルもやってみたい!

では、また記事を書くまでみなさまお元気でお過ごしください。

写真は以前描いたイラスト。
2012/04/01(日) 00:46 UNARRANGEMENT PERMALINK
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