実りの季節がやってきました。
気がつけばだいぶんまた間があいてしまいました。ごめんなさい。筆不精なもので…毎回謝っていますね。
あれだけ青々としていた稲の穂は、沢山の実を重そうにしなだれさせて田んぼ一面を金色に染め変えていますね。それを次々農家の方が借り入れて、枯れ草色といいましょうか、土と穂の根元がまだらに残ったような地面に描き直していっています。
一面金色の稲穂をみるとミレーの落穂拾いが思い浮かぶ方が多いかと思いますが、わたしの場合、夏子の酒という漫画をまず思いだします。造り酒屋のお話で、主人公の兄がたまの休みに東京から帰ってきた妹を見送る際に、たんぼの中に立って叫ぶシーンがあるのですがその時の「金色の稲穂が一面に、バァーっとだ」という台詞がなんだかとても印象的で、一面の稲穂をみる度にその台詞が湧いてくるのです。
あとわたしはまた、グスコーブドリの伝記を思い出します。小学校時分、宮沢賢治の作品がとても好きだった国語の先生がみせてくださった教材用の「グスコーブドリの伝記」のビデオの映像は、いまでも記憶にーとても断片的ですがー残っています。あの作品はなんだか宮沢賢治の生涯とどことなくかぶるようなところがあって、きっとブドリがした数々のことは賢治自身がしたかったことなのではないかな、とあの作品を思い返す度思わずにはおれないのです。
最後に、わたしの大好きな詩が思い出されます。新川和江さんのある詩をわたしはいつも自分の心の中に置いてあるのですが、その詩のように力強く、自由に高く、広く、しなやかに生きたいと願っているのになかなかわたしの貧弱な心はわたしの揚げ足をとって、ミヒャエルエンデの云う「憂いの沼」から出してはくれないのです。
お陰様で明日に迫ったトリオのライブは満席に近い状態となりました。お越し下さる方々に感謝の気持ちでいっぱいです。本当に有難う御座います。なるたけ楽しんでいただけるよう、出演者一同精一杯演奏致しますのでどうぞごゆっくりしてくださいませ。
また、12月には同じ編成でカフェなどでの演奏もありそうです。またそちらは追ってご報告出来ればと思います。
竹のように、稲穂のように、しなやかに気高く、太陽と番った海のように、生きることに真摯に寄り添って行きたいと、早朝の穏やかな日本海を見ながらふと思いました。